はじめに
相場格言の古くは江戸期の米相場時代から伝えられてきました。
そんな『相場格言』とは、米相場の先人達の教訓をもとに歴史の中で語られてきた投資の心得や知恵や戒め等を短い言葉にした金言です。
これらの格言は主に株式相場、為替相場の特性や人間心理を実に上手く表現していたり、それまでの経験から未来を見越した助言もありと投資の本質を表すものとして今でも高い人気があります。
ここでは『投資の心構え編 〜投資の初心者に役立つ格言〜』に関する様々な相場格言を集めてその意味や伝えたい事を解説しています。
是非、相場投資のヒントとしてお役立てください。
人の行く裏に道あり花の山
相場格言といえば何をおいてもまず出てくるのがこの『人の行く裏に道あり花の山』です。
世間というものや投資家は群集心理で同じ方向に動きがちですがそれでは大きな成果や成功を収める事はできません。
むしろ、人の行く道の裏に注目してその裏道をどんどん進んでいくと誰も気付いていない花の山があるという逆張り的な発想を象徴する格言です。
つまり、利益を得る為には他の投資家とは逆の行動を取る必要があります。
その他大勢の投資家と同じ行動をとっていれば安心かもしれませんが儲けを出す事は難しいものです。
実際、総強気の時は相場は天井圏で、総悲観の時は底値圏である事が多いです。
他の大勢の投資家達があまりにも一方へ偏り過ぎて一斉に売り出した、あるいは、買い出したタイミングではこの格言を思い出し、逆の行動を取る事を考えてみましょう。
友なき方へ行くべし
『友なき方』とは、友人や情報に頼らず自分自身で判断や選択をする事を指し、『行くべし』とはその方向に進むべきだという事を指します。
『友なき方へ行くべし』とは、多くの投資家が買っている時は売り、もしくは、休み、多くの投資家が売っている時は買い、もしくは、休めばいいという主に逆張りや休みを促す格言です。
多くの投資家はとにかく群集心理で動きがちです。
しかし、大勢が向かう先には危険は少ないかもしれませんがそれなりの利益しか待っておらず、それでは大きな成功は得られません。
投資で成功を求めるなら他の投資家と同じ事をせず逆の事をすべきでしょう。
相場師は孤独を愛す
『相場師は孤独を愛す』とは、投資で財を成す投資家は人の話に左右されず、自慢話も愚痴も言わず、徒党を組む事もないという意味の格言です。
投資は常に孤独との闘いです。
人と同じ事をしていては大きく儲ける事はできず、重要な局面での判断は自分1人で決めなければなりません。
となれば、相場師は好むと好まざるとにかかわらず孤独にならざるを得ないのです。
また、この『孤独を愛す』とは周りに流されず一般大衆の逆をいくという意味でもあります。
それを『相場師は孤独を愛す』と格好良く表現しています。
株式投資で成功する人は孤独を愛す。
相場師になる為には、他人の意見に一喜一憂せず、自分で考え、自身の信念に基づいた判断軸をもとに売買する事が大切だという事を教えてくれています。
連れが出来たら儲からない
『連れ』とは、相場仲間の事を指します。
『連れが出来たら儲からない』とは、相場仲間ができると儲からないという意味の格言です。
なぜ儲からないかというと、まだ自分の相場観も持てないような人が同じようなレベルの人と話をしても変なバイアスを受けるだけであり、その結果、仲間の言葉で自分の相場観が曲がってしまいやすく、また、損をした時に慰め合って損をした事を受け入れにくくなるからです。
本来、相場を張る行為とは孤独な作業でありますが、相場で成功する為には、他の人とは異なる独自の視点や戦略を持つ事が重要です。
良き投機は即ち良き投資なり
『良き投機は即ち 良き投資なり』一般的に投資は安全、投機は危険という認識をされ、否定的に語られる事も多いですが、投資や取引において投機とされるヘッジなどの手法と適切なリスク管理と分析を合わせて行う事は良い投資と同義であるという意味の格言です。
投資は絶対安全ではなく、様々な投機手法を組み合わせる事でよりリスクヘッジされた安全なものにする事ができます。
つまり、安易な投機やギャンブル的な取引よりも十分な情報収集を行った投資や計画的で慎重な分析を行った取引が成功に繋がるという事です。
大事な事はリスク管理と結果です。
一夜成金一夜乞食
『一夜成金一夜乞食』相場の世界では一夜にして成金になる事も乞食になる事もあり得る、あるいは、一夜にして富を築いた者が次の日には貧困に陥るという格言です。
短期に大儲けをしようと考える人が集まっているのが相場であり、成功する人もいれば失敗をする人もいるのは紛れもない事実なのです。
事実、相場の世界では一時的な市場の好況などで一夜で財を築く事もあれば、その逆にその後の市場の変動や誤った投資判断によって一夜で全財産を失う事もある一寸先は闇の世界であり、そんな相場の魅惑と非情さを表しています。
また、この格言は、投資において利益を追い求める一方で冷静な判断と持続可能な戦略の重要性を意識させるものとされています。
相場師の三種の神器は 場帳・玉帳・資料
相場師の世界には昔から伝えられてきた『三種の神器』と呼ばれる成功する為に欠かせない3つの重要な道具が存在します。
『場帳』とは、日々の値動きを記録した一覧表、『玉帳』とは、建玉、損益、出納の一覧帳簿、『資料』とは、物価や世情や世相のメモの事です。
これらの三種の神器は相場師が相場において情報の管理や適切な判断を行う為に重要なツールとされています。
また、トレードの日報、相場の日誌、出来事の資料といった日々の記録を残す習慣は色んな意味で失敗を糧に変えて行ける可能性のあるともて大切な習慣です。
相場師の最大の敵は自分であって相手ではない
『相場師の最大の敵は自分であって相手ではない』とは、投資において自分自身の感情や認識の歪みが最大の敵であるという意味の格言です。
多くの投資家は相場の研究は熱心に行う一方、自分の研究は手薄になり、行わない人が多いです。
その結果、頑固だったり、天狗になって自分の力を過信したり、儲けたいと思う欲と損したくないという恐怖との葛藤といった自分自身の弱さが原因で失敗する事が多いものです。
つまり、相場の値動きや他の投資家の行動よりも自分自身の心理や判断ミスが大きな損失を引き起こしてしまいます。
トレーダーは冷静な心で相場に臨み、自分の感情や欲望に左右されずに取引する必要があります。
他人を頼るべからず、自力を頼むべし
『他人を頼るべからず、自力を頼むべし』とは、株式投資は全ての投資判断を自分で行うものであり、他人任せや他人の判断に委ねて行ってはならないという意味の格言です。
相場に関する情報は溢れている為、努力をせず、または、分析する力がなくても推奨銘柄等の情報を得て取引をする事もできます。
しかし、そういう人は損をしても他人のせいにして自己責任を回避しようとする為に成長する事はできず、儲けを出す事はできません。
他人任せにして勝てるほど甘い世界ではない為、他人を頼る事はやめましょう。
自分自身の研究や分析に基づき、自分の投資判断を信じて行動する事が重要です。
金なる木は水では生きぬ、汗をやらねば枯れていく
『金のなる木』とは、相場で儲ける事を指しています。
『金なる木は水では生きぬ、汗をやらねば枯れていく』とは、相場で儲ける為にはそこから得た材料を自分で分析する努力を通して相場の大局を読む、材料を分析する、売買のタイミングを計るといった投資の技術となる金のなる木を育てる事になるという意味の格言です。
水のように簡単に手に入る新聞や雑誌等、他所から流れてくる情報を鵜呑みにしているだけでは知識や技術は身につかず、儲ける事はできません。
日頃からの汗という努力や粘り強さがあってこそ相場での儲けに繋がっていくのです。
過去に学べ、しかし過去は繰り返さず
『過去に学べ、しかし過去は繰り返さず』とは、過去の値動きや事柄に対する反応を調べて学ぶ事はとても大切な事ですが同じ状況でも同じような値動きはしないという意味の格言です。
それに準じて、過去に起こった出来事やその背景、値動き等の研究をしたとしてもただただ過去のパターンに固執せず、臨機応変に対応していけるよう日々研鑽する事が大切となります。
過去の成功や失敗を反省し、学びつつも柔軟な思考と行動を持つ事が重要です。
強弱より運用を学べ
『強弱より運用を学べ』とは、相場の強弱や先行きの予想を研究するよりも自己資金の範囲内でいかにリスクを抑えた上で有利に利益を上げるかの運用の技術を学べという意味の格言です。
相場の動きは、景気、金利、企業業績、市場の需給等、様々な要因によって常に変動しており、この予測は大変難しくその的中率は低いものにならざるを得ません。
それに準じて、大切なのは自分の性格や資金量に合った運用方法の研究というわけです。
知識は本でも学べるが、勘は実戦で強くなる
『知識は本でも学べるが勘は実戦で強くなる』とは、相場に必要な知識は本を読む事でも学べますがその知識を活かし、最終的な決断を後押しするのは実戦で培った直感や経験にもとづく勘である為、知識の習得は勿論の事、実戦を数多く経験して勘を磨く事も大切であるという意味の格言です。
近年では、書籍、ネット、新聞等のように情報媒体にも様々なものがあり、人によってどれを見るかも異なってくる事でしょうが、そういった知識を持っていたとしても相場の変動や心理は常に予測不可能な為、勝ち続ける事ができるとは限りません。
つまり、知識を学ぶ事で基礎を固め、実際の相場での場数を踏む事で勘を磨いていく必要があります。
百冊の理論書は一回の売買にしかず
『百冊の理論書は一回の売買にしかず』とは、相場で成功する為に沢山の相場に関する書物を読んでもそれは1回の売買の経験には及ばないという意味の格言です。
書物を多く読んで知識や技術を高める事は大変良い事です。
ですが、相場で実際に売買をすると色々な場面に遭遇し、その時の気持ちや感情の動きは書物を読む事では得られません。
しかし、習得した相場哲学を実際の売買で使う事で体得する事はできます。
わかってくるほどわからなくなるのが相場
素人は細かい理屈が分からない為に当たり屋に提灯をつけるとか相場について行く等して無意識に儲けを出す事ができます。
しかし、『わかってくるほどわからなくなるのが相場』とは、少々相場が分かってくると理屈をこねまわし、ありもしない相場の裏を読もうと穿った見方をして失敗してしまうという意味の格言です。
相場はわからないものだという事実がわかるようになれば少しは相場を理解した事になるでしょう。
そうなれば知れば知るほど不明な点が多いのが相場であるという事実を謙虚に受け止められるようになります。
実は相場と対等に向き合えるようになれるのはそういう気持ちが身に染みてからです。
知って行わざるは知らざるに同じ
『知って行わざるは知らざるに同じ』とは、相場の上がるか、あるいは、下がるかの見通しを仮に正確に予測できたとしても実際に売買しなければ役には立たないという意味の格言です。
この格言を肝に銘じていないと仕込みたい時に資金がない、売買のチャンスを逃す、飛び付き買いで高値を掴む、利食いを逃がす等のような事になるかもしれません。
つまり、相場に関する知識や情報を知っていてもそれを実際に行動に移さなければ全く知らないのと同じという事です。
戦わざる者は勝たず
『戦わざる者は勝たず』とは、相場に参加して売買しなければ負けもありませんが相場で成功する為には積極的な行動を起こさなければ勝つ事もないという意味の格言です。
相場はただ眺めているだけやいくら相場の分析力に長けていて架空の取引で利益が出ていても実際にそれを活かして売買をしなければ意味がありません。
相場で分析力は当然必要になりますが、自分自身との戦いの側面も大きく、実際に売買して様々な場面での対処法や心の迷いを克服する事がより重要なのです。
損せぬ人に儲けなし
『損せぬ人に儲けなし』とは、リスクを取らなければリターンを得る事はできないという意味の格言です。
相場で儲けようとする時には必ずリスクが付き物である為、リスクを減らす為に調査や研究を行います。
しかし、相場をするという事はリスクを取るという事であり、大きな利益を狙うのであれば相応のリスクを取らなければなりません。
ある程度の損やリスクを取る覚悟ができない状態の時は相場に参加しない方がいいでしょう。
理屈上手の商い下手
『理屈上手の商い下手』とは、いくら立派な相場の理論や知識を持っていても持論に拘り過ぎて相場で実際の取引や商売において成功しないという意味の格言です。
もちろん、相場について研究したり、学ぶ事は大切な事です。
しかし、机上の理論に振り回されて相場の動きや流れを自分の主観に基づいて見るようでは儲ける事はできません。
その為、相場の動向や市場の実態を理解し、それに基づいて適切な判断や行動ができる事が重要とされています。
賢者は聞き、愚者は語る
『賢者は聞き 愚者は語る』とは、賢者(相場巧者)ほど相場について語らずに聞き手にまわっていますが、愚者(相場下手)はよく語る事から相場論を語る人に相場巧者はいないという意味の格言です。
賢い人は自分の能力を知っている為、決して人前で自慢するような事はしません。
逆に、相手の話から何かを必死に学び取ろうとして他人の話に良く耳を傾けるものです。
一方、愚か者は少しの知能をそれ以上に見せようと自分の意見や予測を必死に喋り、語ろうとします。
話し上手より聞き上手の方が相場においては成功する模様です。
玄人の大曲がり、素人の大当たり
『玄人の大曲がり、素人の大当たり』とは、投資において経験豊富な玄人投資家が予測した事が外れ、初心者や素人投資家が偶然的に成功するという意味の格言です。
投資経験を積み重ねる間に覚えた格言や理屈を振りかざして大儲けのチャンスを逃してしまうケースはいくら玄人の投資家でも往々にしてあります。
しかし、反対にあまり先入観を持たずに相場に臨んだ素人の投資家の方が成功に繋がるケースも多々あるものです。
経験や専門知識は大切ですが時には素人の直感や幸運も重要な要素となる事を示唆しています。
愚人蝶々する時は沈黙せよ
『愚人蝶々』とは、相場において安易な判断や一瞬の利益や感情に惑わされ、衝動的な取引を行う投資家の事を指します。
『沈黙』とは、相場において判断力や冷静さを保つ為には時には沈黙する事が重要であるという意味です。
『愚人蝶々する時は沈黙せよ』とは、とにかく相場を語り、断定的な物の言い方をする人は実際は相場を知らない者の為、こういう人に対しては余り信頼せず冷静に対処すべきという意味の格言です。
名人になるより素人らしく
相場で一流の相場師のマネをしようとしてもどうしても小手先になりがちであり、素人が一流の相場師のように振舞うのはやはり難しいようです。
その為、相場のプロや成功者になる事よりも常に謙虚さを持ち、学び続ける姿勢を大切にすべきでしょう。
そもそも名人とは決して自分から名人と名乗らないものですが相場の世界には『わかってくるほどわからなくなるのが相場』という格言もあります。
技芸だけで勝てない事を悟っている相場師ほど謙虚になるのはこの為です。
通常の売買も日頃から手間隙を惜しまず情熱を注ぎ、そこに自分の才能と運が味方した時が最も儲かるのではないでしょうか。
名人になりたければ自分の主張を殺し、素人のように新鮮な視点や知識を持ち続ける事も重要でしょう。
名人は相場の恐さを知る
読んで字の如く、投資の名人や達人は相場の魅力も恐さも知り尽くした人の事です。
魅力と恐さを知り尽くしていれば細心の注意を払ってリスクを避け、魅力的な成果をできるだけ安全、かつ、確実に手に入れる方法を考え出す事ができるでしょう。
魅力だけ知っていても恐さを知らなければ無謀な投資を行って失敗する可能性が高くなる。
恐さだけ知っていても魅力を知らなければ投資を避けてしまう。
『名人は相場の恐ろしさを知る』とは、そんな魅力と恐ろしさを併せ持つ様々な相場をくぐり抜けてきた投資の名人や達人は相場の変化やたった一度のミスで全てを失う事もある相場の恐さを知っている為、相場を甘く見ずに、無理な事せずに慎重に行動し、相場に対して謙虚になるという意味の格言です。
相場の怖さ、冷酷さを知れ
『相場の怖さ、冷酷さを知れ』とは、相場は感情に左右されない冷酷な存在である事を指摘している格言です。
相場の動きは株価等の数値的な要素だけでなく投資家や相場参加者の心理や感情も影響される為、冷静な判断と感情の管理が必要とされます。
一方、貪欲さや恐怖心で行動する事は相場で成功する可能性を著しく減らす事になります。
しかし、相場で大損を経験する事で相場の怖さや冷酷さを身に染みて知る事ができ、それがあって初めて相場に真剣に打ち込む事ができるのも事実です。
そんな相場の特性を理解し、冷静さを保ちながら投資や取引を行う事の重要性を伝えています。
幾回敗れるも、断じて我が成功を疑う事勿れ
『幾回敗れるも、断じて我が成功を疑う事勿れ』とは、相場の取引で何度も失敗したり、損失を出したとしても諦めず、自分の成功を信じて投資を継続する忍耐力が相場で成功するのには必要であるという意味の格言です。
相場は常に変動し、成功と失敗の間を行き来するものですが自信を失わずに努力を続ける事が成功への道の一部であるという事を教えてくれています。
強い願望とその願望を動機とする継続だけがいつか成功を引き寄せるのでしょう。
このくらいの気持ちでないと相場ではまず生き残れません。
失敗の損失を悔やむな、その反省から大きな幸が生まれる
相場において連戦連勝は極めて困難であり、相場を続けていれば失敗して損失を出してまう事も当然あります。
しかし、『失敗の損失を悔やむな、その反省から大きな幸が生まれる』とは、その時なぜ失敗したかを振り返って反省し、教訓を見い出す事で自分の糧となって同じ失敗を避ける事できるようになり、成功に近づく事ができるという意味の格言です。
失敗は成功の母といわれるように失敗は学びの機会であり、なぜ失敗したかを振り返って反省と改善を行えば次回の成功のもとを探す事が可能となります。
失敗した事からこそ貴重な教訓を見い出す事ができるのです。
十中六度見込みの当たる者は資産を興し得べし
『十中六度』とは、十回中六回の確率で正しく予測できる事を指します。
『十中六度見込みの当たる者は資産を興し得べし』とは、投資において高い確率で正確な予測や判断を行える人は資産を増やす事ができるという意味の格言です。
相場で成功する為には相場の動きを正確に予測し、それを活かして資産を増やす能力が重要である事を伝えています。
そもそも相場で連戦連勝はまずできないものです。
それに準じて、十回中六度思惑が当たれば満足すべきであり、二度三度の失敗でくじけてはなりません。
不手合で金が減ったと悔やむなよ、預けてあると思い済むなり
相場で失敗しても流れが変われば勝者と敗者の立場は逆転する可能性があります。
それに準じて、『不手合で金が減ったと悔やむなよ、預けてあると思い済むなり』とは、一時的な損失や失敗にいつまでもくよくよ悩まず、今の損は相場に預けているのだからいつか返してもらえばいいと長期的な視点で思えば気が楽になるという意味の格言です。
つまり、短期的な波乱や損失は避けられないものと受け止め、納得のいく長期的な成果を出す事に重点を置くべきであるという教えを含んでいます。
正しい判断は絶望の中から生まれる
『正しい判断は絶望の中から生まれる』とは、相場で何度も失敗を重ねたり、絶望的な状況や困難な状況に直面した時こそ、その都度その原因を突き詰めながら反省と学びを繰り返す事で正しい判断が出来るようになるという相場での意思決定についての格言です。
経験と失敗を積んで相場の怖さを実感する事ではじめて人は学ぶ事ができるようになるという事でしょう。
また、相場が不確実で変動が激しい状況や困難な状況で深く慎重に考え、冷静な分析と判断を行う事が重要であるという事を示しています。
判断を誤る事は正常な事だ、それを修正しないのが異常である
『判断を誤る事は正常な事だ、それを修正しないのが異常である』とは、相場はどんなに細心の注意を払っても自分の思惑通りいかないものですが判断を誤る事は恥ずべき事ではなく間違いを潔く認め、軌道修正を図っていく事が大切であるという意味の格言です。
自分の思惑通りにいかない相場で判断を間違えた場合、それを修正しないで悪あがきすると状況は一層悪くなってしまうからです。
ここで重要な事は誤った判断を素早く認識し、修正する事です。
判断を誤った場合でもそれを素直に認めて修正する事で損失を最小限に抑えたり、新たな機会を見つけたりする事ができるからです。
この格言は投資家にとって謙虚さと柔軟性を持ちながら状況に応じた判断と修正を行う事の重要性を強調しています。
自分のやったトレードから学ぼうとする人間は進歩する
『自分のやったトレードから学ぼうとする人間は進歩する』とは、自分のトレードを分析し、何故上手くいったのか、何故失敗したのか、どうするべきであったかを考え、そこから何かを学ぶ事で自分の成長に繋げられるという意味の投資や取引において重要な格言です。
この格言は自分の過去のトレードや取引を振り返り、成功した点や失敗した点を客観的に分析し、そこから学びを得ようとする姿勢の重要性を強調しています。
過去の経験を繰り返さない為には自己反省や学習が必要であり、これが進歩に繋がるとされています。
公平な賭に必勝はない
『公平な賭に必勝はない』とは、相場の取引は予測や情報にもとづいて行われるものであり、完全に正確な予測や確実な勝利や必勝法は存在しないという意味の格言です。
相場は不確実で変動しやすい性質を持っており、全ての個別の取引においては成功する事ができないという事を示しています。
また、インサイダーや資金量にものをいわせて力づくの相場を形成したり、あるいは、大きな幻の利益を形成する等もできる為、五分五分の確率にも収束する事はないでしょう。
当たり外れは世のならい
『当たり外れは世のならい』とは、相場の取引では正確な予測や成功を保証するものはなく必ずしも全ての取引が成功するわけではないという意味の格言です。
投資をするにあたって取引で利益を上げたり、損失を出したりする事は一種のランダム性があり、予測には常に当たり外れがあるという事を認識する必要があります。
勝っても負けても自分の考えた戦略にもとづいて投資を実践しましょう。
投機家に相場観はいらない
『投機家に相場観はいらない』とは、相場取引においては単に運や勘に頼るだけではなくしっかりとした相場観や分析が重要であるという意味の格言です。
相場観を持たない投機家が株式投資で成功する事は難しい為、投機家は相場のトレンドや動向を正確に把握し、適切な判断を行う為の相場観を持つ必要があります。
また、株式投資には投資と投機の両面がありますが投資と考えて景気や企業業績と相場の関係を研究しながら売買した方が成功する確率が高くなります。
相場の高下は天性自然のこと
『相場の高下は天性自然のこと』とは、相場の価格変動は自然の法則であるという意味の格言です。
つまり、相場の上下は天性自然の理にもとづくものの為、予測や操作によって変える事はできず、天候や自然の出来事にも左右される為、逆らう事はできないものであるという意味の格言です。
この格言は相場の動向や変動は自然現象のように予測が困難であり、相場で儲ける為にはその高下に対する慎重な観察と柔軟な対応策が必要である事を教えています。
それに準じて、相場の高下は自然に起こるものと受け止めてその変動に対して柔軟に対応する必要があります。
相場は煩悩の渦
『相場は煩悩の渦』とは、相場では人々の欲望や感情が絶えず影響を及ぼし、状況が常に変動しているという意味の格言です。
相場参加者の全てが儲ける事を目的にしており、誰もが儲けたくて相場を始めますが相場は自分の思惑や欲望通りに動かない事も多いものです。
そんな中、実際儲け続ける事ができるのはほんの一握りであり、儲けようという欲望の中で買った、あるいは、負けたを繰り返していても最終的に勝ち残る事はできません。
それに準じて、相場で儲ける為には自分自身の欲望に翻弄されない判断力を付け、感情に左右されず相場に接する事が大切でしょう。
相場は豹変する
『相場は豹変する』とは、相場の動向やトレンドは予測不可能であり、急激に変動するものであるという意味の格言です。
この格言は相場の変動性を認識し、リスク管理や慎重な判断をする重要性を示しています。
投資家は相場の豹変に対応できるような柔軟性とどんな状況になっても対応できるような心構えを持っていなければいけません。
相場は天邪鬼
『天邪鬼』とは文字通り、トレードを続ける限り、それを受け入れた上で出来るだけ上手く付き合ってゆく必要があるという事でしょう。
相場をしていると自分が売買するまで素直に動いていた銘柄が買ったとたん曲がりだす等、自分の思惑とは逆方向に動く事があり、相場はしばしば投資家を驚かせたり、予測を裏切ったりする事が度々あります。
それに準じて、『相場は天邪鬼』とは、たとえそれが納得がいかない結果だとしても自分の読みが甘かったと悟る事が大切であるという意味の格言です。
馬鹿と相場には勝てぬ
この格言は豊臣秀吉の言ったものだといわれています。
原文は、『天下の意の如くならぬものは、馬鹿と相場である』です。
豊臣秀吉が米価の下落時に大量の米を大阪湾に廃棄させましたが下落は止まらず、天下の豊臣秀吉でさえ相場は意のままにならなかった事に由来します。
つまり、『馬鹿と相場には勝てぬ』とは、理屈の通らない相手と相場はこちらの思い通りにはならないという意味の格言でしょう。
理屈に当たり相場にはずれる
『理屈に当たり相場にはずれる』とは、理論や予測に固執する事が実際の相場動向と合致しない場合があるという意味の格言です。
相場は常に様々な要素や心理的な要因によって影響される為、純粋な理論や予測だけに頼る事は限定的な結果をもたらす事があるという意味です。
このように、相場を形成する要因は複雑であり、相場ではしばしば理屈を越えた事が起こる為、理屈倒れにならないよう注意が必要です。
こんな好材料が出たのだから株価は当然上がると思っても予測はが全く外れたりするものです。
相場は常識一辺にて不可なり
相場というものはいわゆる理外の理という事があって常識通りにはゆかないものです。
これは相場の動きや変動が常識や一般的な知識だけでは予測や理解ができない事を意味します。
相場は様々な要素や動因によって影響されているからでしょう。
『相場は常識一辺にて不可なり』とは、常識や理論だけに頼らず、相場の流れや情報を的確に捉える必要があるという事を教えてくれる格言といえます。
また、格言の少なからぬものは一般常識と逆なものが多い事がその事を端的に示しています。
下がるも理、時至らねば下がるまじ、買い急ぎするは大たわけなり
『下がるも理、時至らねば下がるまじ、買い急ぎするは大たわけなり』とは、相場の下落が必ずしも理由によって生じるわけではなく適切なタイミングを待たなければ下がらないという理論と現実との相違、そして、その時々に揺れ動く人間心理を述べた格言です。
理論的には相場は下がる状況にあってもその勢いがまだ熟していない時はなかなか下がらないものです。
だからといって底が堅いのだろうと解釈して買っていったりするとその時相場は下げ始めるものの為、愚かな行動であるという意味です。
相場が大きく動く時期を見極めて売買する事が重要です。
理と非との中にこもれる理外の理、株の高下の源と知れ
『理と非との中にこもれる理外の理、株の高下の源と知れ』とは、相場は理屈では説明できない理不尽な動きをする時がありますが様々な思惑や不可解な要素が渦巻いている為、波を打つように動くのが相場であるという意味の格言です。
相場という場所では沢山の欲望や思惑、また、大勢の違う立場の人達が売買をしています。
それに準じて、相場の動きには理にかなった要因と理性や予測の範疇を超えた要因が絡み合っている為、理屈通りの動きをしない事が度々ある事を知る事が大切です。
理屈で全て分かったつもりにならずに相場の流れに乗る事が大切でしょう。
相場は理外の理にあらず、理中の理なり
『相場は理外の理にあらず、理中の理なり』とは、相場は時に理屈や道理に敵わない理不尽な動きをする事がありますが相場の変動やトレンドは理論や分析に基づいて理解できるものであり、確率や統計の原理に基づくものであるという意味の格言です。
つまり、相場は予測可能であり、分析や知識を持って適切な取引を行う事で利益を得る事ができるという事を示しています。
ショック安や大きな材料等が出た時には乱高下が続きますがしばらくすると混乱も収まって元通りの動きをするようになります。
したがって、相場の動きを理解し、その法則性を把握する事が重要です。
考えの裏が本街道
『考えの裏が本街道』とは、相場の動向やトレンドを正確に予測する為には表面的な情報や一般的な意見だけではなく裏側にある情報や考え方を理解する必要があるという意味の格言です。
よく経験する事ですが往々にして相場は常識的な動きとは逆の方向に動くものです。
相場には見えない要素や相場参加者の意図が影響を与えているからでしょう。
また、自分が考える思惑通りに動いてくれない相場を予測するのは難しく思惑が裏目に出る事も度々あります。
そんな相場では臨機応変に対応できる能力を身につける努力と裏側にある情報等を掴む力が勝利を呼び込みます。
自らの相場観へのこだわりを感じた時は思い浮かべてもらいたい格言の一つです。
石が浮かんで葉が沈む
水底に沈むはずの石が浮いて浮いて流れるはずの木の葉が沈む。
文字通り、『石が浮かんで葉が沈む』とは、あり得ない事が相場では起こるという意味の格言です。
例えば、業績好調で最高益を更新しているものの売られたり、業績不振の銘柄が突如として吹き上げたりする事は相場ではしばしば見受けられます。
想像もしていなかった事が起こり得るのが相場の為、気の緩みは禁物です。
相場は常に正しい
『相場は常に正しい』とは、相場が自分の思惑通りに動かない時はそれは相場の動きが間違っているのではなく自分自身の考えが間違っているからであるという意味の格言です。
しかし、相場が常に正確で真実の情報を反映しているという意味ではありません。
「相場は理外の理」という格言があるように相場は相場参加者の感情や情報の歪み等によって影響を受け、理不尽な動きや不可解な動きをしたり、ある材料への反応が自分が考えていた方向と逆に行く事がよくあります。
相場は常に変動し、正しいとされる情報でもその価値は相場によって判断される為、注意が必要です。
株価は常に将来性の反映である
『株価は常に将来の繁栄である』とは、今現在ついている企業の株価というのは今の企業業績を評価しているのではなく将来その会社がどうなるのかをその企業や銘柄の将来の成長や利益にもとづいて既に反映しているという意味の格言です。
それに準じて、今賑わっている銘柄を見れば成長性のある業種が分かったりします。
株価は相場参加者がその企業の業績や成長見通しを考慮して取引する結果、将来の見通しに基づいて決定されるとされているからでしょう。
しかし、相場は時に予測や予想と異なる動きを示す事もあり、将来性の反映には限定されない場合もあります。
株は経済の先行きを映す鏡
『株は経済の先行きを移す鏡』とは、株価は企業の業績見通しを事前に織り込む形で株価形成する事から半年から1年先の経済全体の状況や将来の経済成長の見通しを先取りするという意味の格言です。
株式市場は経済の重要な指標とされており、経済の先行きを予測する為の重要な情報源となっています。
基本的には株価が上昇する事は経済の好調を示し、株価が下落する事は経済の不調を示します。
それに準じて、株価は実体経済が悪化すると思えば下がり、経済が上向くとの予測が増えれば株価は上がるものです。
しかし、株価の動きは必ずしも経済全体の動向を正確に反映しているわけではない為、注意が必要です。
実体の伴わない相場は長続きしない
『実体の伴わない相場は長続きしない』とは、景気が上向いて企業業績が好調を持続する事こそ株価の安定した上昇に繋がるものの為、企業業績が好調で持続力のある銘柄に投資する事が基本であるという意味の格言です。
相場も好調な企業業績という裏付けがなければ株価の持続的な上昇には繋がらず、バブルは弾けてしまうものです。
株式であれば企業業績に注目して投資するという基本を忘れないようにしましょう。
相場が根拠のない期待や仮想的な要因によって大きく変動する等、一時的な材料等の需給面だけでの相場は長続きしないものです。
財界の見通しより相場の足取り
相場の動きは経済界の見通しによって動くものではなく、相場は景気の波とは直接関係ない力で動くものです。
その為、『財界の見通しより相場の足取り』とは、相場そのものの足取りにしっかりと注目する事が大切であるという意味の格言です。
無論、大背景としては動きますが相場の動きは様々な要因によって影響を受ける為、景気の波は参考程度にとどめて相場そのものの足取りを正確に把握する事が重要であるとされています。
株は世につれ、 世は株につれ
『株は世につれ、世は株につれ』とは、流行歌は時代を反映し、また、流行歌が時代を作るとという意味の『歌は世につれ、世は歌につれ』を文字った格言です。
株価の動向が時には経済や社会の状況に影響を与え、逆に、社会や経済の状況が株価に反映される事を指します。
株価は経済や社会の変化に応じて変動し、同時に株価の変動も経済や社会に影響を与える相互の関連性を表しています。
その時々の世相を反映して人気銘柄は登場する為、社会の動きを素直に観察していれば値上がりする銘柄を見つける事ができるでしょう。
流行物は廃り物
人の心は移ろい易く、流行は長続きしないものです。
特定の商品や流行株が一時的な流行りによって価値や株価が暴騰する事はあっても長続きせず、その流行が過ぎ去った数日後には一転、暴落して廃れてしまう可能性が高いものです。
それに準じて、『流行物は廃り物』とは、相場での投資の際には一時的な流行りやトレンドに惑わされず、確かな材料があるか、または、長期的な価値を持つものか等を見極める事が大切であるという意味の格言です。
相場は人気七分に材料三分
株価が動くには手掛かりとなる材料が必要となりますが相場のベースとしては需給で動くものです。
それに準じて、一度株価が動き出すと勢いにつられて続々と提灯がついてきて材料よりも人気そのものが新たな買いを呼び込み、「上がるから買う、買うから上がる」と言われるような人気相場へと発展する事もあります。
このような人気相場では株価は一般的な情報や材料の影響よりも主に相場参加者や投資家の心理や感情、需給関係等によるムードによって形成される為、『相場は人気七分に材料三分』とは、人気に乗る姿勢が大切になるという意味の格言です。
しかし、このような人気相場ではしばしは行き過ぎを招く事もある為、深追いはほどほどにする事も大切でしょう。
相場は人力の及ぶところにあらず
『相場は人力の及ぶところにあらず』とは、株価や相場の動きは一人の人や団体の意思や行動だけで完全にコントロールできるものではなく他の多くの要因や力が関与し、予測する事が困難である事を表している格言です。
一時的には仕手相場、腕力相場等といった事も見られる相場ではありますが、いずれはそれも需給の反撃にあって潰れてしまうものです。
また、材料や相場分析などを通して相場をわかったという自信を得たとしても絶対その通りには動きません。
99%見極めた相場でも残りのわずか1%でひっくり返される事があるからです。
神の怒りに触れる相場でも最後は需要と供給
『神の怒りに触れる相場でも最後は需要と供給』とは、相場は人気、あるいは、不人気が思いがけず行き過ぎ、大上昇や大暴落となって相場がパニックや混乱が起きるような状態でも結局は需要と供給の原理が株価や相場の動きを決定するという意味の格言です。
どんなに相場が混乱していても需要と供給のバランスが最終的な価格形成の要素となるとされます。
つまり、相場参加者の行動や感情によって相場が揺れ動いても経済の基本的な原則が最終的な価格形成に影響を与えるという事を指しており、一時的な値動きや市場の感情に左右されやすい状況でも長期的な見方を持つ事や基本的な需要と供給のバランスを考える事が重要である事を示しています。
余り物に値なし
『余り物に値なし』とは、市場では需要が高く供給が限られている商品や資産に価値があり、逆に、需要が低く供給が豊富なものは価値が低下するという意味の格言です。
つまり、需要と供給のバランスが重要であり、市場では希少性や需要の高さが価値を決定するとされています。
株式市場でも同様に、重要な要素に需給があり、需要よりも供給が過剰に上回ると株価は下がってしまいます。
需給はあらゆる材料に優先する
『需給はあらゆる材料に優先する』とは、株価の値動きを決定する要因で一番重要なのは需給関係であるという意味の格言です。
言うまでもなく、株価は株式市場に参加している買いたい人と売りたい人の注文の商いによって形成されます。
すなわち、株価は材料や人気化した時に短期的に動く事はありますが最終的な株価変動は投資家達の株式の需給関係によって決まるわけです。
基本的に株価は需要が供給を上回れば上昇し、逆に供給が需要を上回れば株価は下落します。
それに準じて、いくら業績がいい銘柄であっても画期的な新製品の発表があっても買おうという人が現われない限り、株価が上がる事はありません。
この格言はこうした株式市場のクールな特性を言い表しています。
株式市場で銘柄選別する際や投資や取引を行う際に需給関係を確認しておく事は大切な項目なのです。
上がる理も、時節が来ねば上がらぬぞ
『上がる理も、時節が来ねば上がらぬぞ』とは、相場は様々な変動要因により、一時的に振れる事はあっても最後は結局、需要と供給の量を素直に反映した相場に落ち着くものの為、需給をしっかりと把握しておく事が肝要であるという意味の格言です。
相場を動かす根本の原因はいうまでもなく需給関係にあります。
取組、人気、仕手等によって目先的には動く事もありますが背景にはやはり需給があります。
つまり、いくら業績が良くても、あるいは、市場を席巻するような画期的な新製品の発表があっても買おうという人が増えない限りは株価は上がりません。
最終的に相場を動かすのも需給に尽き、上がる理由があってもそれに相応しい時期や需給関係が好転しないと上がらないのです。
余る余るは足らぬの始まり
『余る余るは足らぬの始まり』とは、市場において供給が需求を大きく超える状況が起きるとその余剰が需要を満たす為の足りなさを引き起こし、需要の増加や価格の上昇を促す事を示す格言です。
市場は需要と供給のバランスが必要であり、何も対策をせずにモノを過剰に生産をした場合、いつのまにかモノが余っている状態ではなく不足の状態に陥ってしまうという意味です。
つまり、供給が過剰になる事で需要が喚起される事があるという事です。
例えば、米が豊作の年には不作への対策や備えを怠って食べるだけになる為、お米が不足してしまいます。
一方、不作の年には様々な状況を想定しますし、備えも十分にして不足しないように努力します。
これは、相場においては需給状況を考慮した上での逆張り投資が効果的であるという事を教えています。
知恵で得る目先の儲け僅かなり、運と根とで多く儲けよ
『相場の器用貧乏』という格言の通り、相場は小手先の知恵でやってもわずかな小利しか得る事はできません。
そこで、『知恵で得る目先の儲け僅かなり、運と根とで多く儲けよ』とは、結果を大きく左右する大利を得る為には運の強さや根気等の要素も必要であるという意味の格言です。
しかし、長期的な成功を収める為には知識や情報を駆使する事も重要です。
相場の器用貧乏
『器用貧乏』とは、何をしても器用に無難にこなすが特に秀でたものはなく大成しないという事を指します。
株式投資も同様に、小手先を利かせて売買し目先の小幅な利益を出す器用さがありながら大きく儲ける事はできない為にいずれ失敗をして儲けが無くなってしまうという意味の格言です。
相場の小動きで上手に売買をして利益を上げる事は楽しいですし、自信も付きます。
しかし、小手先で売ったり買ったりしているといつか必ず裏目が出てそれまでの利益以上の損を出す事にもなり得ます。
相場ではここぞという局面やタイミングに直面した時にある程度は思い切っていかないと利益をあげる事はできませんが、器用な割にはそのような思い切りのない人がこの「相場の器用貧乏」と呼ばれます。
肚を据えてどっしりと構える事が株式投資の世界でも大切でしょう。
銘柄貧乏
株の世界の『銘柄貧乏』も『相場の器用貧乏』と似ている格言です。
新しい銘柄や話題になっている銘柄に興味を持ち、投資をするもののそこにあまり根拠や戦略はないので結局は失敗してしまうという意味の格言です。
また、限られた数の銘柄に偏ってしまい、多様な銘柄を選択しない事によってリスクの分散や潜在的な利益の取りこぼし等も生じてしまうかもしれません。
投資はあくまでも自分の土俵でするものです。
よく分からない分野や銘柄に興味があるというだけで信念のない投資をするのはやめましょう。
悪い銘柄は良い銘柄を駆逐する
『悪い銘柄は良い銘柄を駆逐する』とは、相場において悪い銘柄や価値の低い投資先が存在する場合、それが相場全体の評価を下げる事を意味する格言です。
したがって、投資家は悪い銘柄を避け、良い銘柄に投資する事が重要であるとさています。
また、投資家は損失の確定を嫌い、含み損のある銘柄の処分を躊躇う事で含み益の乗っている良い銘柄から処分し、ポートフォリオを常に悪化させてしまう傾向があります。
このような自分の間違いや損失は簡単には受け入れたくない為、頭で分かっていながらも本来執るべき行動(含み益の乗っている銘柄の利を更に伸ばし、含み損のある銘柄の損切りを早めに行う)とは逆の行動をとってしまう事を戒める格言でもあります。
当たり屋につけ
相場の世界では売買の周期が相場のサイクルとピッタリ合致する人、あるいは、めったに出動しないがひとたび売買すれば必ず利益を収める人の事を『当たり屋』と呼んでいます。
もりろん、単なるマグレ当たりの場合もありますが日常生活の中でも上手くいく時は不思議と次の手も上手くいくという経験をお持ちの方が多いはずであり、そういう場合が株式投資にもあり得るわけです。
そこで、自分であれこれ思い迷うより、いっそ日頃から研究をして運もついている当たり屋と同じ売買をした方が自分もその恩恵に授かれるのではないかと考え、その売買に便乗する事を『当たり屋につけ』と言います。
曲がり屋に向かえ
『当たり屋につけ』と正反対の格言に『曲がり屋(予想の外れた投資家)に向かえ』というのがあります。
この曲がり屋は、買えば下がる、あるいは、売れば上がるというように判断ミスを繰り返します。
そこで、これは予測が当たらない曲がり屋を探してその曲がり屋が買えば売り、あるいは、売れば買うという具合に反対の売買をすれば利益が得られるという理屈からきており、当たり屋につくよりも曲がり屋に向かう方が成功率が高いといわれています。
しかも、予測がよく外れる事に加えて曲がり屋という評判が立てば立つほど周りの投資家が曲がり屋とは反対の投資行動を取るようになる為、ますます曲がるようになります。
当たり屋は滅多にいませんが曲がり屋はかなりの確率で出てくるとされています。
当たり屋と言われた頃から曲がり出し
『当たり屋と言われた頃から曲がり出し』とは、相場の動向や投資家の期待や注目が高まっている銘柄等について言われる格言です。
相場の予想がいつも当っている当たり屋でもずっと当て続ける事は難しいものです。
それに準じて、どんなに研究熱心で優秀な投資家でもいずれは失敗するのが相場の常であり、そういう人の予想は無条件に信じてはいけないという意味の格言です。
うば桜を買い思惑するは素人の常なり
『うば桜』とは、盛りを過ぎてもまだ美しさの残っている女性に例えられ、株の世界では既に最盛期は過ぎ成長力はなくなったものの安定度、信頼性は高い大企業の事を指します。
株式投資の醍醐味はまだ未成熟でも将来性に富み、成長力が大きい企業に投資する事にあります。
しかし、『うば桜を買い思惑するは素人の常なり』とは、投資の素人や一般投資家はこうした企業よりも知名度の高い大企業に目を向けがちな為、投資成績もあまり芳しく、こうした性格の投資家を表した格言です。
相場で成功する為には素人のような浅はかな思い込みや予想だけで銘柄を買ってはいけないという教えを含意しています。
大衆は常に間違っている
『大衆は常に間違っている』とは、大衆は思い込みや錯覚で投資するから常に損をするものであり、大衆というものから抜け出さなければ相場での成功は無いという意味の格言です。
相場の見通しはその時々の情勢の変化が相場に大きく反映します。
自分の銘柄の上げ、あるいは、下げに一喜一憂するのではなく相場の内部要因や外部要因等を客観的に見て判断する事が不可欠でしょう。
大衆は常に天井を買い、底値を売る
『大衆は常に天井を買い、底値を売る』とは、多くの投資家は天井で買い、あるいは、底値で売ってしまうという投資家の心理傾向を示した格言です。
大衆は株価上昇が周りに取り上げられ、注目されてから天井圏でもまだ上がると思い込んで慌てて天井で買い、底値圏では永遠に上がらなのではないかと思いこんだり、まだ下がるような気になって嫌気が差し、底値で売ってしまう傾向があります。
投資は安い時に買って高い時に売る事が基本ですが心理面の弱さによって逆をしてしまうのでしょう。
しかし、この格言はあくまで一般的な傾向を示したものであり、必ずしも常に当てはまるわけではありません。
天井も底値も大衆がつける
『天井も底値も大衆がつける』とは、天井は熱狂している相場に大衆が大挙して参加してきた後に起き、大底は冷え切った相場に更なる悲観材料が出て一段と相場が下がったり、大衆が持ち株を投げ売って相場から去った後に確認できる事が多いという格言です。
相場のトレンドや価格の変動は大衆の思考や行動によって形成されるという意味です。
この格言は相場の価格の動きや天底を予測する際には一般投資家の意見や行動を注意深く観察する事の重要性を示しています。
決して相場巧者となるな、まして場面巧者となるな
『決して相場巧者となるな、まして場面巧者となるな』とは、相場や市場の変動やトレンドを正確に予測する事は非常に困難であり、相場の巧者や場面の巧者になる事はほとんど不可能であるという意味の格言です。
投資の経験が長くなると様々な場面や局面での対処法を記憶している事もあって勘と経験に頼り直感的な取引や感覚的な取引を行い目先の小さな利益を取りにいってしまいがちです。
しかし、そのような取引ばかりを繰り返しているといつかは大損をしてしまう為、長く利益を出し続ける為の自分なりの長期的な投資戦略を作り上げて取引をする事が大切となります。
慢は損を招き、謙は益を招く
『慢は損を招き、謙は益を招く』とは、放漫な気持ちで相場に入ると損失を招きますが常に謙虚な気持ちで相場と対峙していれば自ずと利益が出るようになるという意味の格言です。
自分の判断や情報に過度な自信を持った放漫でおごり高ぶった気持ちで行動すると考えが偏ったり判断ミスを起こしたりする可能性が高くなります。
一方で謙虚な姿勢を持ち、常に学びを求め、情報を適切に吸収し、冷静な判断を行う事で利益を最大化する事が可能となります。
相場では常に謙虚で冷静に向き合う姿勢が何よりも大切です。
思い上がりは下り坂
『思い上がりは下り坂』とは、自分自身の能力や知識に過度に自信を持ち過ぎてしまい自分が凄い投資家だと思い込んでしまうと失敗や損失を招きやすいという意味の格言です。
こちらの格言は相場に限った話ではありません。
何事に対しても人間は自分が頂点を極めたと自分自身を過大評価してしまった瞬間に向上心が失せ、努力や精進を怠ってしまって進化や成長が止まってしまうものです。
特に相場においてはこのような思い上がった心は命取りになってしまいます。
遠慮は当たり、天狗は外れる
『遠慮は当たり、天狗は外れる』とは、取引が好調な時に相場に対して驕り高ぶった気持ちになって天狗になるといずれ失敗を招く一方、常に謙虚な気持ちと慎重さを持って相場に取り組んだ方が成功するという意味の格言です。
この格言は相場だけでなく仕事や対人関係等、身の回りの多くの物事に当てはまります。
自分の能力や判断力を過信しすぎると誤った投資や取引を行い、失敗する可能性が高まります。
一方で、謙虚で慎重な姿勢を持ちながら取り組む事でより良い結果を得る事ができるとされています。
心動けば相場に曲がる
『心動けば相場に曲がる』とは、自分が想定したものと違う形で相場が動いた時にはそれが含み益であれ、含み損であれ、動揺して冷静な判断が付かなくなり、相場に対する見方も自分の置かれた状況に有利に解釈して曲がってしまうという意味の格言です。
心動くという時は色々な場面があると思います。
例えば、建て玉に大きな含み損があったり、あるいは、負けが込んできた時に何とかしたいという気持ちが働いて正しい見方ができなくなる事を経験した人は多いでしょう。
正しい相場感を保つ為には心理的に影響する事柄を少なくする事が大切ですし、また、平常心が保てるように自分の心理面を鍛えなければなりません。
手法や相場分析も大事ですが何よりメンタルの強さが大切です。
人の商い、うらやむべからず
『人の商い、うらやむべからず』とは、他の投資家がどれだけ利益を出していてもそれと自分の利益を比較して焦ったり、うらやましがる事はやめましょうという意味の格言です。
株式投資の目的はお金儲けであるが故に大儲けした人の話が噂となって広がりやすいですがそれは他人の事であり、誰でも今すぐできるような事ではありません。
そんな時、どうしても自分の利益と他人の利益を比較してしまうかもしれません。
しかし、他人の利益額と比較しても自分の利益額が伸びる事はなく自分もその他人が儲かった株と同じ株を買ってみたりと金銭欲と他人に流された投資をすると失敗してしまいます。
それどころか、無茶なトレードをする事で損失がさらに拡大してしまう可能性もあります。
リスク選好も投資スタイルも人は人、自分は自分。
過度に他人の成功話を意識しすぎず、自分自身の投資と向き合うようにしましょう。
買いたい弱気 売りたい強気
相場では現在より少しでも安いところを買いたいという投資家心理が買い場を逃したり、あるいは、相場が下げるはずという希望的観測に捉われすぎて逆目の売りに手を出してしまう事が度々あります。
買いたい弱気とは、値上がりを期待して買いたいけれど安く買いたい為に値下がりを期待してしまう投資家の心理状態を意味します。
一方、売りたい強気とは、値下がりが見込まれるので売りたいけれど高く売りたい為に値上がりを期待してしまう投資家の心理状態を意味します。
この『買いたい弱気 売りたい強気』とは、上がって欲しいという気持ちと下がって欲しいという気持ちが混在する矛盾した投資家の心理状態であり、相場を自分自身の希望的観測に基づいて判断してしまう人間の心理面の弱さを表している格言です。
いずれのの場合でも売買のタイミングを逃して結局逆目の相場に転じた後に手を出して損をする事になりかねません。
買うと決めたら買う、あるいは、売ると決めたら売る事が大事でしょう。
高値おぼえ、安値おぼえ
『高値おぼえ』とは、株価が上昇し始めても、こんな安値があったのだからと過去の安値が忘れられず、またすぐ下げると思い、買いに踏み切る事ができないうちに値が上がって買い時を失う事を指します。
『安値おぼえ』とは、その逆で株価が下落した後も、あのような高値があったのだからとまだ高い時の株価が忘れられず、戻り売りを期待するものの株価はそのまま下がって売るタイミングを逃し、損をするという事を指します。
つまり、『高値おぼえ、安値おぼえ』とは、過去の高値や安値にとらわれて適切な売買の判断を見誤る格言です。
このように一度経験した高値や安値での成功体験が邪魔をし、相場の転換期を見極める目を曇らせて損のもととなってしまう事があります。
また、将来を予測するには過去の経験は一つの手がかりにはなりますがそれを過信するのは危険と戒める格言でもあります。
『相場に過去はない』とウォール街の格言にもあるように過去は過去、今は今。
相場や投資に限らず、人の気持ちも移ろい変わっていく為、恋愛や人間関係でも過去に縛られない前向きな姿勢がとても大切となります。
高値おぼえ、安値おぼえは損のもと
『高値おぼえ、安値おぼえは損のもと』とは、以前の高値を覚えているとそれより安い価格の時は売る気になれず、あるいは、以前の安値を覚えているとそれより高い価格では買う気になれない。
以前の高値、安値を覚えていると株価の動きを見極める事への邪魔になり、現在の価格で売買できずに投資チャンスを逃したり、損失になる事も多いという意味の格言です。
相場や経済情勢等は常に動いている為、その時の状況に応じた判断が必要になるのです。
流言飛語が市場の本性
相場は海千山千の人達が目の色を変えて儲けを追いかけています。
それに準じて、簡単に手に入れる事ができる情報は既に古かったり、証券会社や投資顧問の思惑をたっぷりと含んでいたり、まったくのデマである事は日常茶飯事の事です。
『流言飛語が市場の本性』とは、そういった情報に惑わされる事なく本当の姿を見るようにしなければ情報に振り回されるだけで勝機が逃げてしまう事になるという意味の格言です。
情報の正確性や信憑性を見極めながら適切な判断を行う必要があります。
エコノミストは理路整然と曲がる
『曲がる』とは、予測が外れて損をする事を指します。
『エコノミストは理路整然と曲がる』とは、エコノミストは経済や企業を明快に分析して今後の相場動向を予測しますが、相場動向はエコノミストの思った方向に動かない事が多いという意味の格言です。
また、経済や相場の状況は常に変動する為、エコノミスト達も新たな情報やデータにもとずき、時には自身の予測や意見を突然変える事も度々あります。
つまり、エコノミストの助言を頼りに実際に投資をやってみると見事に予測が外れて損を招いてしまいます。
アナリストの説明できない相場がおもしろい
『アナリストの説明できない相場がおもしろい』とは、ファンダメンタルズを前提条件としたアナリストの分析手法に対して、相場はファンダメンタルに基づいて動くのではなく相場は需給を最大要因として形成され、相場参加者の熱狂、過信、恐怖、安堵等によって動いているという事を示した格言です。
相場の動向や価格の変動は常に予測不可能であり、アナリストや専門家の分析や予測が必ずしも正確であるとは限らないという事を表しています。
相場の予測不可能性こそが投資や取引の醍醐味であり、その中での巧妙な判断や機会を見つける楽しみを感じる事を意味します。
相場上の助言をするな、いれるな
相場について他人に助言したり、他人の助言を聞き入れたりする事で運良くその通りになれば良いですがそうでなければ恨まれたり、あるいは、恨む事になってしまいます。
それに準じて、『相場上の助言をするな、いれるな』とは、基本的には安易に助言や他人の助言を聞き入れたりしてはならず、相場での判断はあくまでも自分で行うものであるという意味の格言です。
他人の意見に左右される事のない自身の独立した判断力を養う事が重要とされます。
おわりに
以上が、『投資の心構え編 〜投資の初心者に役立つ格言〜』です。
昔から伝わる相場に関する格言を皆さんもどこかでお聞きになった事があると思います。
投資は人間心理のゲームとも言える為、その人間心理をついた格言が人々の心を打ち、長く言い伝えられてきているのでしょう。
現代は株式やFX、仮想通貨等、様々な投資が行われていますが何百年経過した今でも投資で心がけておくべきポイントや心理状態が投資に及ぼす影響が大きい事には変わりません。
何故なら、米相場でも株式相場でも為替相場でも相場の最終判断をするのは人間であり、人間の心理は古今東西を通じて大きく変わっていないからです。
相場格言を知っておくと取引が上手くいかずメンタルが乱れそうな時に精神状態を立て直すのに役立つでしょう。
また、投資をしていると投資判断に迷ってしまう事も多々ありますがそんな時にもこの相場の格言に耳を傾けてみれば何か答えが見つかるかも知れません。
先人達が経験をもとに作り上げた投資格言を活用し、平常心で投資に臨んでいきましょう。